無題

 

 

 

 

私は今日大きな収納ボックスを買ってきて、部屋に飾ってあった顔うちわやポスターを入れてクローゼットに仕舞った。

これは私にとって心が動くようなことだった。

 

ちなむとこれは担降りブログではありません。

 

 

 

 

今彼らは全国ツアーを行っている。私は今回応募するも全滅。制作開放や復活当選した!というツイートも何度も見かけたが、私には何も来なかった。

 

今回のツアー、いけた人間といけなかった人間の間に非常に大きな溝があるように感じる。もしかしたら今までのライブや舞台も同じだったのかもしれない。しかし、私はどうしても溝を感じてしまう。

 

 

ライブに行けていないので当然新曲は知らない。

今回のライブでの演出も知らない。

セトリは回ってきたし、ライブレポも回ってくる。

どこかで本人たちがライブをやっていることはわかるけれど、私は何も知らない。

 

私はこの界隈に来て2年半くらいたっただけなので、ほかの人たちに比べると知識も浅ければ、この界隈の常識も知らない(知らないというよりは自分の常識内に落とし込み切れていない)。

そのため、何度も同じタッチのイラストで各公演のレポ漫画が回ってきたり、何度も同じアイコンのアカウントからレポが回ってくるのを見て、「そこまでしないとついていけないんだ」と痛感するようになった。

私は別に金銭的にチケットを購入できないわけでもないし、遠征ができないわけではない。ただ、どこかからチケットを購入するという行為に抵抗がまだある。ここで、この界隈の感覚を自分の中に落とし込めていないんだな、と感じる。

 

実際問題、高額転売は違法だし、逮捕されている人もいるので犯罪だけれど、やはりそれでも横行するし、同行者探しやお譲り先探しだってたくさんある。

落選して文句言うくらいなら名義二桁作ってから言え、という旨を述べている人もいたけれど、私の中で落とし込めなかった。

 

そういうものが12月23日の当落発表日からずっと続いた。

簡単に言えば「好きでいたいのに疲れる要因が多すぎる」ような日々だった。

 

どうしてもこの世界は数の張り合い、使った金額の張り合いが発生する。そんなもの、この界隈に限ったことではない。しかし、それに疲れた。

 

ライブに行く余裕はあったけど今回は縁がなかった(し、当落直後自担がコロナに罹り、チケ探しする元気がなかった)。きっとそんな人がたくさんいる。

今の情勢を見て、職業柄行けない人だって、住んでいるところ的に行けない人だってたくさんいるはず。そう思ってもツイッターを見てもなぜかライブに行った人の言葉しかタイムラインに流れてこない。

 

私がこの期間で堪えたのは、ライブでしか発表していない曲をテレビで放送した日だ。

タイムラインには「ライブで見れたからまた見たかった!」とか、「この歌詞ライブでは聞き取れなかったけど、こう言ってたんだ!」というような、聞いたことのある人の感想で埋め尽くされていた。

 

ライブに行けなかった人の言葉はどこにもなかった。

 

もしかしたら私のように静観している可能性もあるけれど、「どこかに行ってしまったのかな」と考えるようになった。

 

 

この期間、少しずつ公式側からも「ライブに行けた人」「ライブに行っていない人」で分けられているように感じることが増えた。

自分が見ることのないライブの裏側密着動画がツアー序盤に無料動画サイトに上がった日。

ライブでしか披露されていない曲を、ツアー中にテレビで披露した日。

公式側からのブログに「来てくれる人」に向けて言葉をかけられた日。

 

友人とも話していたけれど、圧倒的に彼らが発する「みんな」に、ライブに行けない人間が入れていないような気がしてきた。

 

 

そもそも私はデビュー組にハマりこの界隈に入ってきたので、ツアー密着動画はツアーがすべて終わり、DVDが発売され、ほとんどのファンが目にできるようになってから特典映像として見られるものだったし、新曲も何らかのメディアで公表されて知るようなことがほとんどだと思っていた。

しかしメジャーデビューしていない彼らに「新曲」が渡されたとき、それはデビューしていないがために「公」で発表することができず、内々でやるライブでしか披露できないと思うと仕方がないのだけれど。

 

 

「誰も取りこぼさない」って何だろうと思うことが増えた。

この数か月、ライブに行けなくても好きでいられるように頑張ってきた。

でも、ちょっとずつ燃料切れになってきた。

単純にこの界隈のシステムが私に向いていないんだろうな。

 

だんだん心の底から好きだった自担を見ることができなくなってきてきた。

 

あまりに心をすり減らし、応援することが苦しくなり、信頼する人にその気持ちを吐露した。すると、

「好きでいることが辛くなったり、もう応援することをやめようと思っても、今持っているものを手放したりしないでどこかに仕舞えばいいよ。それで気が向いたときに仕舞っておいた箱を開けて懐かしんだり良いなって思えばいいよ。」と言われた。

それを聞いて、「一回全部仕舞おう」と思い即行動に移した。

仕舞っているとき、購入したときの気持ちや、見て「格好いい!」と騒いだときのことを思い出した。

 

見たり応援することにつかれたんだから気が向くまでは仕舞っておけばいい。

すぐ開けたっていいし、ずっと仕舞いっぱなしで忘れちゃってもいい。

応援ってたぶん無理することじゃない。

 

 

配信ライブが控えているのにどうしても気が重くなっていたけれど、見てまた「いいな」と思えたらそれはそれでいいし、今回で満了!と思えたらそれはそれでいいのかもしれない。私にはそういうのが向いていると思えた。

 

 

 

見る人が見たら腹が立つかもしれないし、あえてこんなことはてぶろで書くことじゃない、と思われるかもしれないけれど、たまに自分の気持ちを文章化して発することがストレス発散にもなるし気持ちの整理にもなっているので放っておいてください。

 

 

 

2021.5.15