「THE SHOW」に寄せて

 

 

※ネタバレあります。

 

 

 

 

最近、渡米発表からもうすぐ一年か~と思った。

もう一年、いや、やっと一年。

 

 

この一年で感じた寂しさ、悲しさ、苦しみ、小さな感動、いろんな感情があるけれど、全然まだ「過去」にできていないと思った。

 

渡米発表後に自分で書いたはてブロには「早く未来に行ってあの頃はいろいろ気にしすぎだったと思いたい」というニュアンスのことが書いてあったけれど、正直まだそんな気持ちになれていなかった。

 

コンサートの発表も嬉しかったし、行けることになったのも嬉しかったけれど、当選発表からコンサートまでの期間でわくわくすることもなかったし、グッズも買えなさそうだ、、と、なぜか裏切られた気持ちでいた。

 

 

 

コンサート前日。

「2年くらい応援していたJr.のデビューコンサートに行くのかあ」と口に出したら無性に嬉しくなってきた。

そうじゃん、私が一番好きなアイドルデビューしたじゃん。

それをお祝いできるのか。

 

これに気づいてしまったから興奮してなかなか寝られなかったし、寝不足のまま新幹線に乗った。

 

 

 

 

開演2時間前、近くの海鮮料理屋さんに1人で行って海鮮丼を食べる。

周りはトラジャのファンだらけで「現場だ、、、」と慄いた。

 

開演1時間前。トイレが並びすぎて間に合うか不安だった。
(この前別のグループのコンサートで尿意に邪魔され集中できなかった)

 

 

トイレも済ませ、発券に向かう。

 

コンサートの醍醐味って始まる5分前と発券されたチケットの表を見る瞬間じゃないですか。

あの瞬間のどきどきがクセになりすぎて現場が終わると「次の現場早く発表して、、、」になってしまう。

 

 

新潟は3都市目だったし隣の席の人たちは何回か入ってたみたいでだいぶネタバレされたけど、今回はそういう人が多いだろうな~とか思ってた。

 

 

 

時間になって照明が消える瞬間の感覚、最高。

 

オープニングが始まって、メンバーごとに写真が出て、ファンの「キャー!」って声、あれめっちゃいい。

 

 

 

 

なんかもう1曲目始まった時、全部ブッ飛んじゃった。

約一年間の辛かったことも悲しかったことも。

 

出てきたみんな、ほんと~~~~~にいい顔してた。

 

コンサート名が「THE SHOW」だし、歌詞も「ファンとトラジャ」の曲だからきっとやると思ったけど、帰国後に聴く「TheShow」、めっちゃ良かった。

 

 

色んな人が言ってるけど、「リムジンに乗って天井から登場する演出」はトラジャだからできるものだと思った。

だって、LAでリムジン乗ってたし。

 

衣装もめっちゃ良かった。

歴代の衣装、さかのぼるほど「ジュニアっぽい」衣装が多いけど、今回はさすがに「大人」だった。

詳細は覚えてないけど、黒いファーとかタキシードとか、スパンコールの黒いスーツと、「20代後半男性~~~!」と思った。褒めてますか?

 

地味に夢のHollyWood、初めて原曲バージョン聴きました。

(2021年の虎者行ったとき、夢ハリやっと生で聴ける!と思ったら謎アレンジだった)

 

色んな音楽があるし、既にいろんなオリ曲があるけど、夢ハリだけはトラジャが歌うべくして生まれた曲だと思った。

やっぱりブラスが分厚い曲がめっちゃ似合う。

売れる曲とかバズる曲とか色々な尺度で音楽は計れるけど、夢ハリだけはそういうところで戦わないでいい曲であってほしいと思った。

 

夢ハリはいろんなところでトラジャに寄り添ってくれたよな~と思いながら見たら泣いちゃった。

 

 

FIRE!!は正直興奮しすぎて気絶してました。

夢?と思ったし、デビューコンでWカイトユニットを選んでくれてありがとう‥しかもキスマイの曲で…とひたすら合掌。

これからもいろんなユニット曲を見たいね。

 

 

Unique Tigersが始まった途端、オタクがバタバタとうちわ出し始めて何?!と思ったけど、うわさに聞いてた「トラッコ」が来て納得した。

私は賛成コンうちわしかないから静かに眺めるか…と思ったら

宮近さんと松倉海斗のトロッコが私のレーンに進んできた。

 

 

助けて~~~!!!!

中村担兼トリプルカイト厨だから、正直この三人の誰かが近くに来ればいいやと思ったら、、、、、こんなご褒美、、、、

 

これもうわさに聞いてた宮近さんの気まずそうな顔、しっかり見れました。

私の横を気まずそうに通過する宮近さん。

待って、もしかして松倉海斗、この辺で止まる、、、?と思っていたら、

本当に真隣で停車。

マジでマスクがあってよかった。開いた口が塞がらない。

真隣だったからもはや松倉くんの顔は見えないレベルで真上に松倉くんがいたけど、真下からでもわかる発光具合と二重幅、肌の綺麗さで「チケ代これで元取ったな~」と思った。

中村海人はひとブロック隣にいたが残念だけど、この距離で松倉海斗を見れたら何も文句はございません。

 

 

VOLCANOは「元太頑張れ~~!!」の気持ちと、「この訳のわからなさ、ジャニーズだ、、、」の気持ちでめちゃくちゃになった。

凄く格好いいのにめちゃくちゃ面白い。けどこの面白さって本人が本気で挑んでくれてるから沸き起こってくるやつだよな…

家に帰って家族に和太鼓が出てきた話をしたら「ジャニーズってよく和太鼓出てくるよね」と言われた。裸ではなかったけどね…

 

 

Namidaの結晶ってフルで聴いたことほぼないんだけど、後半にあるEDM Remixみたいなところが一番格好いいよね。なのにほとんどラジオでも使われない。無念。

 

 

NeverMyLoveは聞いた瞬間「ジュン~~~!!あいつ~が死んだ朝~」になったんだけど、少年たちの最後の曲であってます?

A.B.C-Zって曲が良いですよね。

 

 

今回何回かイントロで知らない曲?!になったけど「上を向いて歩こう」と「JUST DANCE!(哀愁バージョン)」だった。わかるわけない。

 

 

新曲も良かったし、WODのパフォも見れてすごく良かった。

これも「トラジャだからできる構成」だよなあ。

いつか「BSフジコーナー」とかほしいな。

 

 

 

最後のMC。

中村海人が「だって好きだべ?俺のこと」というなんとも中村海人らしい言葉を言って客席から歓声が上がった時、泣いてしまった。

 

これだよあたしが一年間見たかったもの。

好きなアイドルが、ファンに歓声を浴びてる姿。

 

 

私が渡米期間中に上位で辛かったのは、フェスに参加している映像と、WODの野外ステージだった。

横アリでペンライトの光に溺れる彼ら、東京ドームで踊る彼ら、歓声を浴びる彼ら。

パフォーマンスは何一つ変わっていない(むしろブラッシュアップされている)のに、まったく違うものに見えてしまって、まるで彼らは輝いていないのではないかと思わされてしまって、本当につらかった。

 

良いショーは良いパフォーマンスと、良いステージと音響と、良いファンから成されるということがよくわかった。

 

 

「アイドルとは」。一年間すごく考えた。

ファンサをするだけがアイドルではないし、歌って踊るだけがアイドルじゃない。

アイドルがアイドルであるには、「歓声と光」がなくちゃだめだと思った。

歓声も、すごいパフォーマンスをしたときのフー!みたいなやつじゃなくて、黄色い歓声。

 

確かに今回ショーっぽかったし、見せる演出も多かったけど、「歓声と光」に包まれる彼らは寸分違わずアイドルだった。

 

 

渡米期間中から2月19日まで、4回くらいほかのグループのコンサートに行った。

凄く良かった。私の人生のハイライトに入るだろうなと思うくらい良かったコンサートもあった。

けど、「負けそうなときは今日という日を思い出して」の「今日」になるのは、トラビスジャパンのコンサートしかないと思った。

 

 

 

今後また遠くの国に行ってしまうかもしれないし、「アイドル」ではなくなってしまうかもしれない。

けど、2月19日に私が見た景色は一生忘れたくないな~と思った。

 

 

 

2023.02.24

あなたは私の青春そのもの

 

 

 

何度も何度も書いては辞めて、書いては辞めてを繰り返している。

けど、どうしても自分の考えることや心の整理をしたくて何度も書く。

 

何処からこうなってしまったのだろう。

何度も何度も考える。

 

今の状態でも楽しめる人や応援できる人がいることはよくわかる。

私もしばらくは楽しめていたし、いつか彼らが帰ってきたときに「彼らの日本での住所を守る」ためにも、応援する気持ちをSNSを通じてできるだけ発信しようと思っていた。

 

 

彼らが渡米している間に、自担も自分も25歳になった。

この間大学の同期と集まった時、「この年になると、今までなんとか歯車のずれを修正して関係を保っていた人とのずれがはっきり分かるようになって、急に無理になることが増える」という話で盛り上がった。

ある程度今後も集う人間が精査される年齢だよね~と愚痴りあったが、今回のこともちょっと近いのかもしれない。

 

いつからとか、きっかけはとかではなく、少しずつずれていった歯車が一気に合わなくなって別の道を進んでいっているだけかもしれない。

でも、私にとって3月3日まで彼らの目指すもの(目指していると表明していたもの)と、自分の解釈のずれが生じていると感じたことはなく、一緒の列車に乗っていると思っていたので、いまだに歯車がずれていたことに心がついていかない。

 

正直、「渡米行き全世界配信デビュー列車」だとわかって列車に乗るのと、「国内活動行きCDデビュー列車だと思って乗ったのに行き先が変わっている」のは全く違うと思う。

「国内活動行きCDデビュー列車だと思って乗ったのに行き先が変わっている」場合の、行先変更後に乗るなら「そういうものだ」と思って自ら乗るので満足に応援できるだろう。

「彼らは国内にいたときから海外で有名になりたい!と言ってたのに心が狭すぎる!」という意見も見たが、その時点では「国内活動行きCDデビュー列車」に乗っていると思っていたので許してくれよ…と落ち込む。

 

 

「渡米の話が出たのが2年前くらい」

これが本当だとしたら、彼らが2年かけて決心したものを、我々がたかが半年で心に落とし込めるわけがない。

色々なインタビュー記事があるし、ブログもSNSもあるけれど、どれを辿っても彼らの真意に辿り着くことはできないと思う。

だから、「2年前」も「僕らが志願した」も真実かなんてわからない。

 

 

 

私がこれまでの応援していた2年弱での反省点を挙げるとしたら、「寄りかかりすぎ」「信じすぎ」だと思う。

アイドルの応援なんて楽しければいいし、片手間で良い。

何かと並行で楽しんでいいし、音楽を聴くだけ、バラエティを見るだけ、気に入ればコンサートに行けばいい。

今思うとそうなんだけど、ジャニーズJrという不安定な立場と、「夢があるから支えてほしい」と言われる状況に置かれると、そんなライトな応援はまず無理だった。

 

度々自担が言っていた「みんなの声で俺らがデビューできるかもしれないから!」みたいな言葉を思い出す。2020年虎者だったかな。

これに感動していたら、「ファンがここまでしないとデビューできないのも異常だし、それに頼るのもすごいな...」という意見を見た。

その時は支える気満々だったし、自担のお願いにそんな意見があるなんて!と盲目一直線だったが、今考えると至極まともな意見だと思う。

 

依存関係のようなものを作り上げ、「自分が頑張ることで彼らの夢(CDデビュー)が果たせるなら!」と血眼になった我々。

他のジュニアGがどうかは知らないが、私が見てきたコミュニティはこんな感じだった。

ホストにハマるとか自分には無縁だろうな~と思ってたけど、あの環境ってちょっと似てるんだろうなと思った。

 

 

あとは掛け持ちグループを作っておけばよかった。

渡米直後、ケガしてるのに松葉杖を急に奪われたみたいな気持ちになった。

掛け持ちが悪みたいな扱いされてるけど、絶対に支えは分散させた方がいいし、一個当たりの比重を軽くした方がいいと思う。

ずっとトラジャの単独に行くことを夢見てたし、次の単独でそろそろデビュー発表か…?と淡い期待をしていたので、それを急にすべて絶たれたときの絶望はとんでもなかった。

今年一年、まだ終わってないけど確実に3月3日と3月4日が一番つらかったと思う。

年明けすぐに「寅年!俺らの年!デビューするぞ!」と宣言した彼らを見ていたけど、その時にはすでに色々決まっていたんだな~と思うと本当につらい。

 

今ですら若干辛い。

単独コンサートを日本でやる予定や、日本に拠点を戻すことが無いのか、オリジナル曲を日本語に戻してくれるかとか、教えてほしいことはたくさんあった。

けど、あちらも商売なので「ない」と言ってしまえば財源が減る。そうなりそうなことはしない。

さっさとないならないで殺してくれ…と思うけれど、半殺しで数か月過ごす辛さよ...

 

 

 

あと、一番つらいのは段々彼らがいない日常が「大丈夫」になっていったことかもしれない。

正直、今は日本で活動していないことに対し、大丈夫だ。強がりとかじゃなく、自立できるようになってる。

 

きっかけ。文春からの翌朝メールでデビュー発表かもしれない。

あそこで吹っ切れた感じがした。

そこで自分のトラジャへの原動力が「応援」とかじゃなく「未練」だったことにうっすら気づいた。好きだったときは「応援」してたけど。

 

ここまで応援してきてデビュー発表されて感極まる彼らを見ずに去るのは、、と思っていたけれど、自分の想像とは全く違う方向から脳みそをぶん殴られ、「あ、これで成仏できる」と思えた。

 

 

何度もパラレルワールドを想像した。

3月3日に5月からのアリーナ全国ツアーを発表、

8月デビュー発表、12月デビュー。

なんか、3月3日から集団でわけわからないパラレルワールドに飛ばされた?って感じ。

 

残念ながら現実なので受け入れるしかない。

「メールでのストリーミングデビュー発表」を受け入れるしかない。

友達にはCD買って取り込むの面倒だからいいじゃん!と言われたので、これに関しては人それぞれだなあ、と思った。

 

 

もはや何が辛いのかわからないけれど、供給元が想定している顧客から自分が外れているならば、新たに自分が理想とする供給元を探すまでだ。

 

一つ後悔があるとするならば、あんなに熱望した自担のデビュー発表を見て、歓喜もせず、泣きも笑いもできなかった。

それが見たかったけど、もう戻れないし、あと数日後には全世界ストリーミングデビューするらしいから、時の流れに身を任せるしかない。

 

 

 

「推しは推せるときに推せ」って、グループが解散した時に必ず誰かしらがツイートしてバズるけど、本当にそうだと思った。

こんなこと、表立っていうことでは決してないけれど、こんなことになるならJr最後の単独だって積んででも入ればよかった。

「どうせ次もあるだろうし」と思ってたけど、次なんてなかったし、次があってとしても彼らが当時と同じ人間なわけないし、自分も同じ人間なわけない。

その時にしかないものを何としてでも見ておくべきだった。

 

 

色んな後悔から、「人生一回きりだから!」をモットーに、興味がある現場はなるべく応募するようになった。

自分だってアイドルだって、生まれ変わったら同じ人間には生まれないなら今のうちに堪能しておこうと思う。

 

 

渡米後、2つほかのグループのコンサートに行って、あーコンサートって楽しー!と思えたし、今後もコンサートがあったら申し込んでみよう!と思えるグループにも出会えた。

 

けど、もう中村海人以上に好きになるアイドルはいないんだろうな~と思う。

 

 

応援するぞ!って思った日も、コロナ禍に上げてくれたウナギを食べる島動画も、インスタリレーも、ソロコンも、全てがキラキラしてて大事な思い出だなあ。

もっと早く知っておけばよかったとも思ったけど、私はあのタイミングだったからよかったんだろうな。

ここまでどっぷりはまったのも中村海人だったからだろうなと思う。

 

 

今は若干トラウマっぽくなってしまって、写真を見たり動画を見たりできないけど、いつかちょうどいい距離で応援できるようになったら、その時また応援できればと思う。

 

 

 

この半年間で、ちょうどいい距離での応援を学んだ。

アイドルとファンなんて都合のいい関係でいられる最高なものなんだから、それを存分に利用しなければ。

辛いときには支えてもらって、笑い時には笑わせてもらって、買いたければ買う、いらなければ次回に期待、みたいな。

振り回されて落ち込んで傷ついたのは結局寄りかかりすぎたんだな、と反省した。

 

こんな感じだと怒ってくる人もいそうだけど、私は「楽しくオタクする」を大事にしようと思うので、今後はいろんなアイドルをちょっとずつ楽しもうと思います。

 

 

 

 

 

 

 

2022.10.24

中村海人の元カレ感

 

 

※担降りブログではありません。

 

トラジャが渡米してはや半年。(はや?)

2020年頭くらいに突然トラジャにはまり、2022年3月まで非常~に濃厚なオタク人生を送ってきた。

コンサートも外れたし、虎者も1回しか当選せず、トラジャの現場もその一回のみという怪奇なオタク人生を歩んできたけれど、非常に濃い2年間を過ごした。

 

 

トラジャのすごい所って、確実にいろんな面でオタクとは住む世界が違うのに、異様な身近さを感じさせるところだと思う。

同世代だからかもしれないけど、なぜかものすごく身近に感じる。そうやって思い上がった頃にちょうど良く中村海人に一般人年収コーデ(全身で300万越えの服を着てきたこと)を見せつけられて「あ、住む世界違うわ」と、ちゃんと引き離してくれた。

 

あと、渡米してから気づいたけれど、トラジャの「東京に居そう」感。あれすごく良かった。あれも「身近さ」の一つだと思う。

日本にいそうとかじゃなく、「東京」に居そう。

東京と言っても吉祥寺とか練馬とかじゃなくて、表参道とか代官山とかに居そう感。

正直表参道とか渋谷に行くと、「今日トラジャの誰かしら居そうだな~」と思わざるを得ないくらい、「東京に居そう」感がすごかった。まあ本当にいたと思うけど。

 

なんかあの、確実に日常が交わることはないけれど、瞬間瞬間で交わっていそうな絶妙な距離感を感じさせたトラジャがとにかく絶妙で、その距離感にどっぷりはまっていったことも事実だと思う。

 

 

ここで本題に戻るけれど、トラジャ、もっと言うと中村海人が渡米してからの元カレ感がすごい。

元カレ、言っても思い出して胸が苦しくなるような元カレがいるわけではないので想像だけど、渡米して半年たった中村海人は「推し」「自担」とかじゃなく「元カレ」が一番適切な感情な気がする。

※かといって、担降りしたわけではありません。

別れ方としては、「2年付き合ってこれからもずっと一緒に居られると思ったし、これが最後の恋だと思ってたけど、突然叶えたい夢があるからと言われ、好きだけど別れた」みたいな感じ。「2年付き合って」の部分と「別れた」の部分以外、今回の渡米はつながると思う。

 

実際この2年、本当ーーーに中村海人が好きだった。本当に自分の主成分が中村海人だったし、中村海人が最後の推しだと思った。

というか、自分の主成分が中村海人だったことに気づいたのは渡米してからだった。

渡米してから現場もなく、グッズや雑誌もなくて「中村海人」という人間を推しきれない自分にアイデンティティの喪失を感じた。

中村海人を好きな自分」がめちゃくちゃ好きなことにも気づいた。

 

今まで最長の推しは中村海人、というくらい熱しやすく冷めやすく、更に冷めるともう感情が戻ってこない私にとって、オタク3年目を迎えたことは快挙だった。

 

 

ただ、今回の状況で特殊な部分は「謎の未練感」が残っているところだと思う。

渡米してから何回もアジカンソラニンの「あの時、こうしていれば あの日に戻れれば」というフレーズが頭に浮かんだ。(キモ)

今までの推しに「後悔」みたいな感情が浮かんだことはない。

好きなら好きだし、飽きたなら飽きた。飽きた後は一切感情なし。

テレビで見ても「好きだったな、、」とか無し。後腐れなしだった。

 

私がどう生きていても中村海人は渡米していたと思う。けれど、なぜかそこに異様な「未練」の感情がこみ上げてくる。

 

 

インスタでたまに写真がアップされるのも一因な気がする。

渡米後、髪が伸び、こんがり日焼けした彼に渡米前の雰囲気を感じないけれど、そのビジュアルの変化も「元カレ」っぽい。

インスタが更新されると「あ~。別れてからこういう路線になったんだね(笑)」みたいな気持ちになる。この(笑)は笑っていない。変わりゆく何かを感じて悲しい気持ちになっているけれど笑わないとどうにもできない感情の(笑)。

 

ビジュアルが変わったことで「好きだったころの中村海人」というものが確立された。

この、「今の彼はもう気にしていないけれど、過去に好きだったことに嘘をつけない感じ」とか、「今は何も感じないけれど、昔の彼を見ると苦しくなる感じ」、元カレでしかない。しかも好きなのに別れた元カレ。

 

 

私は今の彼に対してそこまで「好き」と思えなくなったけれど、昔の写真や動画を見ると「この人のこと、一生忘れられないかもな、、」みたいな気持ちになる。

 

これはリアコ感情とかガチ恋感情とも違うと思う。

別に中村海人が表舞台から姿を消したわけではないから何も「あきらめる」必要はないけれど、「思い描いていた未来」と違う今を歩んでいるせいで、推しに対して珍しい「あきらめなくてはならない」みたいな気持ちが芽生えてくる。

 

今回の最大の元カレ感、冒頭の「東京感」につながるけれど、表参道、代官山、宮益坂、下北沢とか、実際にYouTube等で中村海人が行っていた場所に行けなくなった。

行くと「ああ、ここに中村海人がいたな」とか、「ここで笑ってたな」とか思い出して苦しくなってしまうからだ。本当に気持ち悪い。

大体こういうのって、元カレといった場所に行くと思いだして辛くなるとか、そういう時に起こることだと思う。

けど、まったく同じ感情が浮かんできてしまう。

もっと言うと、虎者で新橋演舞場に行った日、普通に帰れるくせに銀座に泊ったのだけれど、「中村海人を生で見ることができた日」と「冬の夕刻の銀座のキラキラ感」が重なって本当に夢みたいな時間だったことを思い出して苦しくなるので、銀座も行けなくなった。キモ過ぎんか?

 

どれもこれも、「東京に居そう感」と、「今はもう居ない」事実のせいだと思う。

実際に中村海人と東京を歩いたことはないけれど、東京に居た事実がYouTubeの映像や雑誌などの写真であるせいで、「ここにいた欠片」が東京にはそこかしこに残っている。

 

 

私は海外に行ったことがないけれど、アメリカが遠い場所なことはわかる。

景色も違うし、時差もかなりある。

そういうものによる物理的な距離が「もうここに居ない」事実をどんどん色濃くしていく。

 

渡米してから本当に中村海人は大人になっていると思う。上から目線に聞こえるけど。

その感じも「もう自分の知っている彼とは違うんだな」みたいな元カレ感につながる。

 

けど、まだ中村海人のことが死ぬほど好きだったことも、感覚も覚えているのが厄介だし、未練感につながる。

渡米して以来、何度もくるりの「東京」の歌詞が頭に浮かぶ(デジャブ?)。

 

youtu.be

 

「君がいないこと 君とうまく話せないこと

 君が素敵だったこと 忘れてしまったこと」

 

そう。わかる。素敵だったことも好きだったことも忘れているようで忘れてない。ずっとキモイな。

 

 

私はずっと、中村海人を降りるときは自分都合でいたいと思っていた。

例えば流出や結婚で降りるとかではなく、自然に「あ、もういいや」となっておりたいと思っている。

過去の推しも、大体この感じで降りているので後腐れが全くないし、後悔とか未練とか夢に出てくるとかがない。

でも今、「このまま好きでいるぞー!」みたいな最盛期に無理やり振られたし、振ってきた割には「夢が叶ったら必ず帰ってくるから、待っていてほしい、、」と言われたみたいな、振るなら嫌いになるように振ってよ、、というメンヘラ女みたいな状況になっている。

 

降りたくないし好きでいたいし、けど今「めちゃくちゃ好き!!!!!」とも違う、これはやっぱり「元カレ感」としか言いようがないと思う。

 

 

夢が無事叶って帰ってきたとき、ビンタの一発くらいさせてくれ。

 

 

 

 

2022.0901

 

 

 

 

多分忘れてはいけない日、2022年3月3日

 

 

 

 

私事から始めます。

2020年3月4日の朝、ケータイを見たら「ハケンの品格2 中村海人出演決定」というニュースがあって、「私はこの人を応援しよう」と思った。

 

2022年3月4日。オタク3年目の朝。

どんなふうに迎えようかな、これからもたくさん楽しいことがあると良いな、と思っていた。

結果、ほとんど眠らずに朝を迎え、仕事中に何回か泣いてしまう(もちろん一人の時に)3年目になった。

 

 

3月3日にトラビスジャパンが緊急でインスタライブをやるといった。

いつもならアーカイブの有無については特に事前に触れないし、割とさらっとやるのに今回は「絶対に見て」という強い希望を各々のブログでアップしていた。

 

アーカイブを残さない理由はわからないけれど、「誰も取りこぼさない」をモットーにしたような優しいグループなので、「ツアーの発表だけど、なるべく多くのファンと一緒に時間を過ごして報告したいのかな」と思ってにこにこしていた。

ただ、今までもさんざんカウントダウンをして節分のカウントダウンだったり、何度もずっこけてきたので、またひな祭り配信だったりしてとも思った。

どちらにしろわくわくしていた。

 

 

21時になり配信開始。

いつも通り明るい空気だが、今思うと作られた空間という感じがした。

「トラジャ重大発表」と題され、コメント欄も「ツアー?」「デビュー?」と沸き立っていった。

ただ、宮近さんの手に持たれた数枚の紙。「間違えちゃいけないから」と言っていて、そんなに難しいことをいうのか、、?と疑っていた。

 

「僕たちは3月下旬から」

この瞬間、3月下旬からツアー?当落とか準備期間なくない?と思った。

「ロサンゼルスに行くことになりました」

ロサンゼルスでライブ?

「修行しに行くことになりました」

 

ここで大きく心臓が鳴ったのが分かった。

 

「向こうに行ってどれくらいの期間いるのか。

 帰ってくる予定はないです。」

 

今打ちながら本当に胸が苦しくなるというか、不安な気持ちになるというか、

思い出したくない瞬間に感じてしまった。

 

現場発表だと思って手帳を急いで開いて書いた文言。

悲しいね。オタクの予定ではなかった。

 

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多分喜ばしいことなんだけど、祝福して元気に送り出すのが正解だってわかってるけど、全然無理だ。

 

嬉しい話(現場発表、新曲発表)をしているときの彼らを知っている。

その時の空気と全然違う。

異様に物々しい空気なのに明るくふるまっている。

その渦巻く空気が読み取れてしまって辛かった。

 

 

ずっと画面の向こうもメンバーは夢物語を語っている。

一方私はずっとライブ開始数分から取り残されている。

アーカイブが残らないためひと時も目を離せず、ツイッターを見てみんながどんな反応をしているのか確認できないのもつらかった。

 

もしかしたらみんな歓喜してるかも。私だけ取り残されてるかも。

私だけ不安かも。私だけ悲しんでるかも。

 

自分の感情と、ほかのファンの感情と、トラジャの「今見せている様子」と。

物凄く作り上げた物語っぽかった。というかこれがフィクションの映画とかなら良かった。登場人物にどんなに不条理なことが降り注いでも、出演者の生活に実際に起こるわけじゃないから。

 

 

取り残されてるのに次々話は進む。

ロスでは一軒家を借りて共同生活をする。

ジャニーズJr.チャンネルは継続。ウェブも継続。島動画も継続。

正直、ロスにまで行くのにそれは続けるんだ、、と思った。

 

「+81は詳細が決まるまで後輩が引き継ぐ」

これは相当きつかった。

なにわ男子がデビューしたとき、ほかのグループは現場があって、トラジャだけ何もなくて不安だった。

そんな時、「彼らが最初に集められた理由」である”ダンス”のチャンネル、もっと言うと「彼らのためのダンスチャンネル」ができたことは、大きな希望だった。

初めて動画が上がった日を覚えてるし、何回もダンス動画を見た。

彼らと、ダンサーと、ファンのかけがえのない空間だった。

 

すべては彼らの考えに基づくのでオタクが何を言ってもどうにもならにけど、

「彼らの努力でつかみ取ったダンスチャンネルに後輩が侵入してきてまで彼らは渡米したかったのか」と思った。

 

 

そこから意思表明だったり、底抜けに明るい感じのスクショタイムだったり、

正直苦しすぎて思い出したくない時間だった。

 

中村担なので中村くんについて。

いつも不機嫌になりやすかったり、感情が顔や態度に出て、それがメンバーや視聴者に伝わっていた貴方が、率先して明るく振舞ってインスタライブを進行していたのは嬉しかった。

 

 

ライブ終了後。泣きつかれてツイッターを見ると案の定阿鼻叫喚だった。

「トラジャすごい!がんばれー!」と言っている人は正直一人もいなかった。

多分それは私がトラビスジャパンのことを好きな人しかフォローしてないから。

 

昨晩はみなただただ不安という空気だった。

私はずっと心拍数が収まらないし、

目をつぶると「日本じゃダメだったのかな」「ジャニーズっぽい彼らのコンサートに行ってみたかったな」「デビューとかアリーナとかドームとか、そういうところの規模で考えてなかったのかな」と、頭が休まることはなく、結局ほとんど眠れなかった。

ツイッターをフォローしている人たちのツイキャスだけが救いだった。

 

 

 

朝になると昨日より考えがまとまって、より「不安」が浮き彫り立った。

「デビューとかアリーナとかドームとか、そういうところの規模で考えてなかったのかな」

これについて昨日からずっと考えてるけど、たぶんそんなことはない。

この二年、彼らをずっと見てきた。短い期間だけど、それらを達成したいというのは感じていた。

 

 

ジャニーズの伝統に則って、ジャニーズとしてショーをして、

本当にファンに対して優しいグループだと思う。

だからこそ、「海外に行ってダンスコンテストに出場」みたいな、「ジャニーズであることを隠して”本物になる”」みたいなところに引っかかってるのかもしれない。

 

「この渡米はファンの人に素晴らしいものを見せるため」というニュアンスのことを何度も言っていた。

私が求めてたものって何だろう。

私が見たかった幸せな光景って何だろう。

彼らがアリーナツアーをしている光景。

ドームツアー決定して、東京ドームの真ん中で踊る光景。

デビューが決定した光景、CDが売られている光景。

こういう光景だった。

勝手に「一緒の光景を見て彼らと喜びと幸福を分かち合える」とインスタライブ前までは思っていたけど、ものの一時間の配信で違うものに変わった気がした。

 

 

とどめは朝刊。

グループ主演の舞台をあんなにたくさんの公演数こなしたり、ソロコンサートをやったり、地上波にそれぞれ出たり、映画主演を務めたり。

2年間オタクをしてきたけどどんな2年間より一瞬で過ぎていくほどトラジャがくれたものは素晴らしかったし、幸せにしてもらえていた。

この期間は何だったんだろう。彼らと、彼らを応援する人たちは何だったんだろう。

しかも、そこで培ってきたもの、レギュラーの番組などすべて終了させ、退路を断っての渡米。

そんなに苦しいことってある?それでも本当に渡米したいなら応援するしかないけど。

 

 

私が好きなトラジャって、みんな仲良しで可愛くて優しくて表情がコロコロ変わって、楽しそうにダンスを踊って目が離せない、ジャニーズのアイドルのトラジャだ。

 

年も近いし、すごくファンとの距離を大事にしてくれるグループだからこそ、身近に感じられて大好きだ。

こんな形で突き放されると思わなかった。

渡米してもいいから、帰ってきたとき何も変わらないトラジャのままでいてほしい。

 

 

 

正直まだ出国もしてないし、期間もわからない、どうなるかもどうなって帰ってくるかもわからない未だからこそ、数年後にこのブログを自分で読んで「何をこんなに思い詰めてるのか、、」とあきれたくて素直な今の気持ちを書いてみた。

早くこの「渡米物語」の結末に飛びたい!!

 

 

 

2022.3.4

 

 

 

 

 

「ちょっと思い出しただけ」感想

 

※ネタばれあります

 

 

後悔の話でも、特別な出来事が起こる話でもなかった。

ただただ、「ちょっと思い出しただけ」に尽きる話だった。

だからこそ、凄くリアルで凄く幸せで、凄く悲しくなった。

 

 

最近こういう「夢を諦められない男/女間における恋愛の話」がすごく多い。

今回も予告の時点で池松壮亮演じる照生が「夢を追いかけているような描写」があったため、またこの感じか、、と思っていた。

私個人的な話で、夢を追いかけたいと言って社会に背き、ひたすら没頭するせいで恋愛がこじれる話が苦手だ。これは恐らく、自分が普通に社会人だから「自分の中でその手の人に共感できない」という感情が大きすぎるため斜に構えてしまうのだと思う。

 

あと、この手の映画は「実在する固有名詞が出すぎる」というポイントが非常に入り込めない原因になっている。個人的に。

「花束みたいな恋をした」では「きのこ帝国」「フレンズ」「羊文学」などの「この映画を見ている人は好きであろうバンドの名前が出てきたり、ほかにもゲームや漫画の固有名詞が非常に出てくる。

「明け方の若者たち」でもきのこ帝国の「東京」という楽曲が出てきたり、登場人物の目覚ましの音がキリンジの「エイリアンズ」だったり、とにかく「この映画を見るであろうターゲット層に刺さりそうな固有名詞」がたくさん出てきた。

そういった実在する固有名詞が登場することで自分と重なり没入できる人もいると思う。私は逆で、自分の生活の中に転がっているものが作品に出てくると「自分」の感覚と登場人物の感覚の間に乖離が生まれているのを感じた瞬間に全く入り込めなくなってしまう。

 

「ちょっと思い出しただけ」はそれがほとんどなかった。クリープハイプの楽曲ぐらいだが、「クリープハイプ/尾崎世界観のもの」として楽曲が登場するというより、「照生と葉の世界の中に存在する音楽」という感じだったので、凄く溶け込んでいた。

 

 

特別大きな事件や喧嘩をするわけではない。しているのだろうけどその描写はない。

入り方がそんな感じだったため、この映画は退屈なのかもしれない、、と最初は思ったが、途中で仕組みが分かったとき、冒頭との対比に涙が出てしまった。

 

誰にでも思い出したくないくらいひどい別れ方はあると思うけれど、この映画のように必ず幸せな時間はあるのだろうな、と思った。

 

話の仕組みが分かったとたんにどんどん伏線回収されていく感じ。

公園のおじさんのシーンはあまりにも苦しかった。

 

 

映画の最初が一人になった照生から始まるので、「この男女の顛末は最終的に一緒になれなかった」ということが観客に伝えられる。

だからこそ「幸せな様子」を見れば見るほど二人の顛末との対比が強く効いてくる。

 

 

この映画に「実在する固有名詞」が出てこない他に、「登場人物の心情のナレーション」がないことが良かった。

とにかく「余白」があるのに「無駄」はなかった。

余白があるのに「あそこのシーンはこういうことかもしれない」などと考察を要するような部分もない。

だからこそ自然に「ある男女の終わってしまった恋愛の様子」を見ることができた。

考察はいらないけれど、見終わったときの「何とかして自分の中で消化しなければならない」という気持ちが強かった。

 

 

特に最後の商店街でのダンスのシーン。

まだ出会って一日目の男女がほろ酔いでダンスを踊るシーン。

幸せな予感しかしないのに、商店街の傍らでは「exダーリン」を歌う男。

なんて美しい映像なのだろうと思った。

 

これから幸せな出来事がたくさん起こりそうな男女とこの歌。

なんて対比が上手いのだろうと思った。

 

冒頭で葉が乗せたバンドマン風の男が「トイレに行く」と言って向かった劇場を覗くとタクシードライバーの制服の葉と照明スタッフの格好をした照生が踊る幻想が見えた。

「こうなる未来もあったかもしれない」という映像なのだろう。

この映画の中で唯一見えた「後悔」のようなものだった。

 

 

ただ、一貫して「ちょっと思い出しただけ」な話。

最後の朝焼けを見つめる池松壮亮の映像は本当に綺麗だった。

 

 

 

 

TravisJapanに東京事変・椎名林檎で踊ってほしい

 

 

私は小学6年生の秋頃、東京事変の「遭難」を聴いて、なんて格好いい曲なんだ、、と衝撃を受け、特別オタクというわけではないけれど、10年以上聴いている。

東京事変を知ってすぐに解散となったため、長い間教育~大発見を聴き続け、飽きたころに椎名林檎も聴き始めた。

 

かたやジャニーズは2019年の夏に突然ハマったので、TLで見かける曲名を知らなかったり、トラジャのライブを見ていて誰の曲だかわからないまま見ていることが多い。

 

先日、2020年の「虎者」で披露された「HappyGroovy」のジャズバージョンの映像をRIDE ON TIMEで見直して、TravisJapanとスイング調の楽曲の親和性の高さに感動していた。

 

その日に、東京事変を2時間近く垂れ流しながら車に乗っていたところ、

もしかしたらTravisJapanと東京事変(と椎名林檎)の楽曲は親和性が高いかもしれない」と頭に浮かんだ。

 

そう考えられたのは、「+81」のプロジェクトが大きいかもしれない。

ジャニーズJr.は先輩の曲を「カバー」して「踊る」。

しかし、今回のプロジェクトで「元ある楽曲にフリをつける」ということの新しさに気づけた。

私的に、東京事変の歌をカバーしてほしいわけではなく、踊ってほしい。

あのゴージャスな音数と弾むリズムに乗って踊ってほしい、と思った。

なので、個人的に「TravisJapanに踊ってほしい東京事変椎名林檎の楽曲」をまとめてみようと思います。

需要は私にしかないと思うので完全にメモですが、ちょっとでも聴いてもらってその曲でパフォーマンスするトラジャを想像してほしいです。

 

 

1.目抜き通り

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イントロの不穏な感じからバンドインすると一気にビート感が上がって、ラストはゆったりとしたテンポになる。絶対こういうのトラジャ得意だ、、と思い、妄想の始まりになった一曲。

PVを見たときに「ENTERのセットみたいだ、、!」となったし、ブラスの豪華さがトラジャが創り出すショーにぴったりだな、と思った。絶対ステッキ使ってほしい。

 

今回はあまり歌詞に言及したくないけど、

「本番さ ショウタイム 終わらない 生きてる間ずっと」

っていうサビの歌詞を改めて聴いてまたぴったりだ、、となりました。

 

 

2.女の子は誰でも

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こちらは椎名林檎名義ではなく、東京事変の楽曲。

KisMyFt2のFREE HUGS!ツアーの中の、宮田くんのソロ曲「僕だけのプリンセス」のバックを宮近、松倉、如恵留がやっていたけれど、あの時みたいに燕尾服でステッキ持って踊ってほしい。

この曲はウッドベースだし、ウォーキングベースだから終始弾むような印象だし、前半はジャズっぽさもあって、後半はブロードウェイのショーのような印象になるから、ジャズグルのスロー→ハイの逆ですね。

個人的に如恵留に従う燕尾服を着た6人(TAMER?)でこの曲を見たいです。

 

 

3.迷彩 椎名林檎×斎藤ネコ

 

これは残念ながらYouTubeに公式動画がなかったので、ぜひ各種サブスクで 

「平成風俗」で調べて聴いてみてください。

色々なバージョンがありますが、私はこのバージョンが一番合うと思います。

嘘みたいなボーカルラインのメロとテンポアップ、スイング調のドラム。

この繊細さとゴージャスさを細かい振りで踊るトラジャが見たい!

 

 

4.この世の限り

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林檎さんがお兄さんの椎名純平さんとデュエットしている曲です。

入りはボーカル×2とピアノのみで、徐々に楽器が増えていく感じが「めちゃくちゃショーだ!」となります。

この曲すごく好きなんですけど、初めて聞いた時から謎にディズニーランド感がありました。

ディズニーランドと言えばショー、ショーと言えばトラジャ。(ガバガバなマジカルバナナ)

勝手に演出すると、ボーカルとピアノだけのところは宮近さんのみステージ、徐々にメンバーが増えていってサビで全員揃う、ちょっと劇っぽさを交えてやってほしいです。

 

5.人生は夢だらけ

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椎名林檎名義が多いのは、椎名林檎名義のほうが楽曲の音数が多いからだと思います。

この曲とか、ワルツのリズムとジャズっぽさと音数の多さ、めちゃくちゃ踊ってほしい。

というか歌詞がめちゃくちゃ自由だからトラジャが元気にこの曲で踊っているのを見たい。

このワルツっぽさ、如恵留とかしめちゃんがめちゃくちゃ映えそうだ~って思います。はあ。できれば生バンドで見たい(わがまま)。

 

 

6.ドーパミント!(BPM103)

 

これもYouTubeになかったので、各種サブスクで検索してください。

「大発見」」に収録されています。

椎名林檎はソロなので編成は自由だけど、東京事変はバンド編成(ギター1本、ピアノ、ベース、ドラム)なので、音数が少ない分めちゃくちゃ大人っぽくて色っぽい。

これ踊ってるトラジャは120%えっち。

 

これもウォーキングベース。多分ウォーキングベースとトラジャのダンスが合っているのだと思います。あと刃田綴色さんのドラムってジャズ調じゃなくても弾む印象が強いからトラジャのタップダンスとかステッキを使うクラシックなパフォーマンスに合うんだと思います。素人の感想です。

 

7.黒猫道

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これは踊れるか知りませんが、「猫」なので、、、、、、

曲も可愛いし、黒い猫耳つけてダンス×寸劇っぽくパフォーマンスしてほしいです。

なんかバレエにもダンス×寸劇っぽい演目はよくあるので、その容量でやってほしいです。某川島様へ。

猫なので、、、、、

 

8.キラーチューン

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「贅沢は味方 もっと欲しがります」

「贅沢するには きっと財布だけじゃ足りないね」を中村海人が踊るだけでアドレナリンマックスになると思います。

こんなにリズミカルで明るくて、なのにちょっと泣ける曲調のキラーチューンが大好きなので、踊ってほしいです。

色々な曲を選んでみたけど、スイング調とウォーキングベースは非常にタップダンスに合いますね。キラーチューンで楽しそうにタップ踏んでほしいです。

 

また歌詞のことになりますが、この曲の

「ご覧 険しい日本(ここ)で逢えたんだ 

 探し出してくれて ありがとう」

「私は 貴方の一生もの」

という歌詞が大好きです。

 

こんな歌詞の曲を自担に踊ってもらえたらと思うと妄想なのにグッときます。

 

 

もう疲れたので辞めますが、椎名林檎さんが以前、「自分の音楽の源流はバレエ音楽」とおっしゃっていたのが、トラジャに踊ってほしいと思う要因の一つな気がします。

椎名林檎さんの楽曲はワルツ調が多いし、若干うねるようなリズムが多いのはステップを踏んだり、踊るのにぴったりだと思いました。感想文ですか?

 

 

いつか椎名林檎さんがトラビスジャパンに楽曲提供する日が来ることを願って、、、

 

 

 

曲リスト

1、目抜き通り(三毒史収録 12曲目) ★

2、女の子は誰でも(大発見収録 13曲目)

3、迷彩(平成風俗収録 8曲目) ★

4、この世の限り(平成風俗収録 13曲目) ★

5、人生は夢だらけ(逆輸入~航空局~収録 1曲目) ★

6、ドーパミント!(BPM103) (大発見収録 7曲目)

7、黒猫道(娯楽収録 6曲目)

8、キラーチューン(娯楽収録 12曲目)

 

★ー椎名林檎名義

 

 

 

シャムキャッツは青春だった

 

 

2020年9月16日、私が大学4年間好きだったバンドが解散し、最後のベストアルバムを出す予定の日だった。

なぜ覚えているかというと、私の誕生日だからだ。

 

結局、いろいろもめたようで発売日は延期。

LP盤を聴く術がなかったので、買うこともなく終わった。

 

 

シャムキャッツ

私は大学生の頃、彼ら以上にクールでキュートな大人はいないと思った。

出会いは大学1年生。軽音楽部の先輩がコピバンをしていたのを聞いたからだ。

コピーしていたのは「AFTER HOURS」。

ほかにはない浮遊感と、独特の空気感があった。

 

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大学生の私には格好良すぎた。

それに付随して、シャムキャッツを好きな先輩たちと話す時間が好きだった。

お酒を飲んで歌詞の話をして、いいギターの音だと話した。

 

シャムキャッツの周りにも、シャムキャッツの話をする私の周りにも、緩やかで優しい時間が流れていた。

 

 

2019年3月。

西荻窪の公園でシャムキャッツが無料でライブをするという情報を得た。

当時、私にも私の周りの人にもとにかくお金がなかった。

ライブに行きたいけど4000円も惜しいし、謎の+ドリンク代がとにかく痛かった。

そんな状態だったので、西荻窪の無料のライブにはワクワクしながら向かった。

 

晴れた春の公園。公園を囲むようにマンションが立ち並び、子供連れの家族がたくさんいた。

一緒に行った先輩は私の友達に片思いしていて、公園に広がる幸せの光景に苦しんでいた。

私もなんだか苦しかった。

 

 

演奏はめちゃくちゃよかった。

その中でも一番良かったのは「GIRL AT THE BUS STOP」だった。

 

youtu.be

私はなぜかその曲を知らなかった。なので、生で聞くのが初めて聞く瞬間だった。

菅原さんのギターソロがとにかくよかった。

昼間の公園に響き渡るギター。切なさでいっぱいになった。

 

ビール片手に「さっきの曲ってなんの曲ですか?」と先輩に聞き、曲名を教えてもらってすぐにCDを購入した。

 

 

「LAY DOWN」みたいな生活がしたいという話をした。

「She's gone」が私には刺さった。

「WINDLESS DAY」は夕方の吉祥寺駅で聞いた。

 

とにかくいろいろな場面で聞いた。

 

私が生で「GIRL AT THE BUS STOP」を聴いたのはあのライブが最後だった。

10周年ライブも行けそうだったが、もう聞いてないし、と言い訳をしていかなかった。

シャムキャッツ」という青春の権化がなくなると思わなかった。

 

 

いつバンドなんて解散するかわからない、とよく言うが、まさにそれだった。

 

 

シャムキャッツが解散してもなお、私はシャムキャッツを思い出すと古傷がうずくような感覚がする。

よく、曲を聴いてその時の温度やにおいを思い出すというが、シャムキャッツは秋のにおいがするし、吉祥寺と西荻窪の景色が思い出される。

 

西荻窪に一緒に行った先輩とは本当に仲が良かったけれど、大学を卒業してからほとんどあっていない。

先輩の誕生日を思い出したのも10日過ぎてからだった。

そんなもんだ。

 

それでもあの景色が私の中でトラウマのように残っているし、今でも写真のように情景が浮かぶ。

 

 

バンドがなくなっても音楽はなくならないし、思い出は消えないけれど、私はいつまでもシャムキャッツがいたころのことを追いかけてしまうだろう。

 

 

 

2021.9.15