「ちょっと思い出しただけ」感想

 

※ネタばれあります

 

 

後悔の話でも、特別な出来事が起こる話でもなかった。

ただただ、「ちょっと思い出しただけ」に尽きる話だった。

だからこそ、凄くリアルで凄く幸せで、凄く悲しくなった。

 

 

最近こういう「夢を諦められない男/女間における恋愛の話」がすごく多い。

今回も予告の時点で池松壮亮演じる照生が「夢を追いかけているような描写」があったため、またこの感じか、、と思っていた。

私個人的な話で、夢を追いかけたいと言って社会に背き、ひたすら没頭するせいで恋愛がこじれる話が苦手だ。これは恐らく、自分が普通に社会人だから「自分の中でその手の人に共感できない」という感情が大きすぎるため斜に構えてしまうのだと思う。

 

あと、この手の映画は「実在する固有名詞が出すぎる」というポイントが非常に入り込めない原因になっている。個人的に。

「花束みたいな恋をした」では「きのこ帝国」「フレンズ」「羊文学」などの「この映画を見ている人は好きであろうバンドの名前が出てきたり、ほかにもゲームや漫画の固有名詞が非常に出てくる。

「明け方の若者たち」でもきのこ帝国の「東京」という楽曲が出てきたり、登場人物の目覚ましの音がキリンジの「エイリアンズ」だったり、とにかく「この映画を見るであろうターゲット層に刺さりそうな固有名詞」がたくさん出てきた。

そういった実在する固有名詞が登場することで自分と重なり没入できる人もいると思う。私は逆で、自分の生活の中に転がっているものが作品に出てくると「自分」の感覚と登場人物の感覚の間に乖離が生まれているのを感じた瞬間に全く入り込めなくなってしまう。

 

「ちょっと思い出しただけ」はそれがほとんどなかった。クリープハイプの楽曲ぐらいだが、「クリープハイプ/尾崎世界観のもの」として楽曲が登場するというより、「照生と葉の世界の中に存在する音楽」という感じだったので、凄く溶け込んでいた。

 

 

特別大きな事件や喧嘩をするわけではない。しているのだろうけどその描写はない。

入り方がそんな感じだったため、この映画は退屈なのかもしれない、、と最初は思ったが、途中で仕組みが分かったとき、冒頭との対比に涙が出てしまった。

 

誰にでも思い出したくないくらいひどい別れ方はあると思うけれど、この映画のように必ず幸せな時間はあるのだろうな、と思った。

 

話の仕組みが分かったとたんにどんどん伏線回収されていく感じ。

公園のおじさんのシーンはあまりにも苦しかった。

 

 

映画の最初が一人になった照生から始まるので、「この男女の顛末は最終的に一緒になれなかった」ということが観客に伝えられる。

だからこそ「幸せな様子」を見れば見るほど二人の顛末との対比が強く効いてくる。

 

 

この映画に「実在する固有名詞」が出てこない他に、「登場人物の心情のナレーション」がないことが良かった。

とにかく「余白」があるのに「無駄」はなかった。

余白があるのに「あそこのシーンはこういうことかもしれない」などと考察を要するような部分もない。

だからこそ自然に「ある男女の終わってしまった恋愛の様子」を見ることができた。

考察はいらないけれど、見終わったときの「何とかして自分の中で消化しなければならない」という気持ちが強かった。

 

 

特に最後の商店街でのダンスのシーン。

まだ出会って一日目の男女がほろ酔いでダンスを踊るシーン。

幸せな予感しかしないのに、商店街の傍らでは「exダーリン」を歌う男。

なんて美しい映像なのだろうと思った。

 

これから幸せな出来事がたくさん起こりそうな男女とこの歌。

なんて対比が上手いのだろうと思った。

 

冒頭で葉が乗せたバンドマン風の男が「トイレに行く」と言って向かった劇場を覗くとタクシードライバーの制服の葉と照明スタッフの格好をした照生が踊る幻想が見えた。

「こうなる未来もあったかもしれない」という映像なのだろう。

この映画の中で唯一見えた「後悔」のようなものだった。

 

 

ただ、一貫して「ちょっと思い出しただけ」な話。

最後の朝焼けを見つめる池松壮亮の映像は本当に綺麗だった。