+81 DANCE STUDIOは光だ
7月28日昼頃、私は膝がカクンと落ちた。
そのまま椅子に座ったけれど数秒間周りの音が聞こえなかった。
数秒後、周りの人が私に話しかけていることに気が付き、必死に会話についていった。
まあ、そうなるよな。
と、頭の中で思ってもやはりすぐに前を向けなかった。
次の日には割とケロッとしていたけれど、当日はいろいろ考えた。
万物は順番だ。本当にそうだろうか。
順番だとしたら誰も何もあきらめずに生きているだろう。
芸能人ではない私ですらいろいろあきらめたことはあるし、私があきらめた夢を友人が叶えてトラウマのようになったこともある。
彼らは今、何かわき目も振らずに前に進める環境にいるのだろうか。
これが最も大きい気持ちだった。
さらにもっと突っ込むと、今彼らを見つめて、彼らの向かうべき方向を見出し、船頭のように導いてくれる人が彼らの近くにいるのか、と考えた。
私は2019年の夏には彼らのことを追っていなかったので、同時進行で同じ状況にいたわけではないけれど、オースティン・マホーンとのコラボライブや、初の主演冠舞台が控えていたし、さらに言えば8月8日の直後にSummerParadiseがあったということを知っている。
彼らも、直後にサマパラがあってファンと一緒の空間を作り出せてよかった、と言っているのを見たので、当時のファンも彼らも多少なり心強かっただろうと思った。
しかし、今年の夏は違う。
7月16日に全国ツアーが終わり、次のめぼしい現場は3か月後。
このナーバスな期間に彼らもファンに対して安心材料としての現場がなくてつらいのではないかと思ったし、私もつらかった。
正直、直後に一回彼らのパフォーマンスを生で見ることができて、生で彼らの言葉が聞けたら少しは安心できたような気がした。
しかし、それができなかった。
各グループ、決意表明がブログでされる日々が始まった。
彼らもほかのグループと変わらず、決意表明されたが、彼らの言葉は他者を圧倒し、焦らせるような強い言葉は少なかった。
だからこそ、この最中にライブができ、MCで「次にデビューするのは俺らです」というようなことを表明できる人たちがうらやましかった。
別に彼らの本当の性格を知っているわけではないけれど、穏やかで、優しいのだろうと思う。
だからこそ、本音を言う時も言葉を選び、他者を焦らせたり苦しめるような言葉は使わない。
しかし、この状況でそれでいいのか、と考えることが増えた。
「残酷さもエンターテインメントになる」と宮近くんは2019年に語った。
確かにそうかもしれない。私は彼らを結局画面越しのショーのように見ているから。
しかし、その当事者は何者かを演じてその状況に置かれているわけではない。
彼らの人生に何回「残酷さ」が降りかかったのだろうか。
考えてもどうしようもないのに何回も考えた。
7月28日から私は闇の中を進んでいるような気持だった。
8月25日、一気にざわめいたのを感じた。
「+81 DANCE STUDIO」というチャンネルができた。
何だかわからない。けれど歴代のジャニーズの曲を踊るらしい。
そこから徐々に情報が解禁されていく日々を過ごした。
完全に「+81 DANCE STUDIO」は光だった。
どこに進んだらよいかわからない。
この先に救済があるのかもわからない闇を進んでいたけれど、彼らが進んだ先には、彼らが最初に集結するきっかけになった「ダンス」があった。
そう思ったとき、「彼らが路頭に迷わずに、わき目も振らずに進めるものがあった」と思ったし、「彼らが進むべき道を見出してしっかり進めてくれる人がいた」ということに気づいて、すごくうれしかった。
彼らを知ったきっかけは様々だと思う。
YouTubeが面白いとか、顔が好きとかいろいろあると思う。
でも、私の中の根っこにある、「彼らのダンスが好きだ」という気持ちがこれでもかと救われたような気がした。
様々なファンが「これを待っていた!」と歓声を上げた。
アイドルが提供してくるものとファンが求めることが合致することが難しい中で、アイドルとファンの間で「幸せ」の認識が一致していることが本当にすごいと思った。
どうして強い語気で7月28日に気持ちを表明してくれないのか、と疑った自分がいた。
あまりにもみんなの言葉が優しさが強かった。
それが悔しかったけれど、違った。
彼らには、あの時すでに新しい時代が始まる期待と高揚感があったのだと思った。
デビュー組、Jr合わせても様々なグループがいる。
その中から「ジャニーズ事務所の伝統を守る」ようなプロジェクトに彼らが選ばれたことがうれしかった。
さまざまなところで「ジャニーズらしからぬ」「アイドルらしからぬ」が注目されている今、原点に立ち返るプロジェクトに彼らが選ばれた。
「TravisJapan」という、メンバー入替も激しく、それこそ「残酷さ」を何度も経験した歴史の長いグループが、この屋号を長い間守って、今も新しいものを生み出せているのは、彼らが真摯にダンスに向き合ってきたからだと思った。
屋号に「Japan」が入っている。
そんなグループが「+81」という「日本から世界に発信するときの数字」を背負ったプロジェクトを行っている。
なんて明るい世界だろうと思った。
現時点では嵐、TOKIO、少年隊、光GENJIと、4グループの曲をカバーした動画がアップされている。
私はアップされた「花唄」を見て泣いた。鬱屈とした生活の中で圧倒的に光だった。
噂は広がり、少しずつ、様々なグループのファンの方が見てくれるようになっている。
そして喜んでくれている。
それは彼らが先代の楽曲、歴史に敬意を払ってカバーし、それが伝わっているからだと思う。
2019年、辛酸を舐め、臥薪嘗胆の勢いで進み、2020年に華々しいイベントが彼らを待っていた。
2020年、コロナウイルス蔓延で未曽有の事態に巻き込まれた。
「とにかくタイミングに恵まれない」という声を何度も聞いた。
タイミングも才能のうちだ、と苦しくなることもあったけれど、
大器晩成とはこのことだったのかもしれない。
彼らが大切にしてきたものも、守ってきたものも、彼らも、私たちも何も間違ってなかった!
2021.09.14